1963年、経済同友会代表幹事に就任すると、所信で「協調的競争」を提唱し、人間尊重の理念をベースにしながら、産業界が自主的に適切な競争環境を整備すべきであると主張した。その具体的な動きとして、
1966年から民間版の産業調整会議として活動を開始した「産業問題研究会」(略称
産研)が挙げられる。単純な
自由放任主義では産業界を取り巻く諸問題は解決できず、政府の介入を招くとの危機感から発足した産研は、一時は名だたる主要財界人を網羅、「財界参謀本部」などとも呼ばれ、
八幡製鉄・富士製鉄の合併実現などに影響力を及ぼした。また
日中国交回復実現にも力を入れ、
1971年には右翼の妨害も意に介さず、風邪を押して訪中、
周恩来首相と会談した。