1939年三重県
津市で生まれる。戦争によって祖母が住んでいた飯南郡上蛸路(
松阪市)に疎開し、祖母の家の近くで借家住まいを続けた。奥田家は祖父喜一郎が明治末期に奥田証券を津市に創業。
大正時代には、大阪に拠点を構えるなど三重県では最大の証券会社だった。奥田家は第2次大戦前まで資産家として名が通っていたが、父が引き継いだ奥田証券は経営不振に陥った。兄の碩は家業を継ぐことも考え地元のトヨタ自販に入社。務も高校卒業時に継ごうと考え2年浪人するが大学に進学した。社会人になっていた昭和40年代前半、奥田証券は証券不況のあおりで破綻。大学時代「流通革命」(
林周二著)を読み就職先を小売業に決め、当時日本一の百貨店大丸に入社した。30代前半で
ニューヨーク州立大学留学と米大手百貨店
ブルーミングデールズへの研修チャンスを得て渡米。帰国後梅田店開設の責任者に選ばれ、大丸梅田店で成功を収める。奥田流の百貨店運営術は「梅田学派」と呼ばれた。大丸社長に就任してからは国内不採算店閉鎖、海外の事業撤退、人員削減などを行い、「負の遺産の整理」と「業務オペレーションの改革」などの守りと攻めの改革による経営で大丸は百貨店業界トップクラスの営業利益額と率を達成するなどの活躍を見せている。