父が病気になったため帰郷し、
岡崎市にあった愛知学芸大学(現・
愛知教育大学)商業科助手に就任。担当は景気論と経済原論。後に同大学専任講師。この間
金城学院大学にも出講。
1954年(昭和29年)、
丸山薫の紹介で、永田正男、宇佐美道雄、国司通、岩崎宗治と月一回の読書会「クレトス」を始める。名古屋の「近代批評」の同人に加わる。
1955年(昭和30年)、
一橋大学経済研究所に出張。
1957年(昭和32年)3月、名古屋市
千種区の
城山八幡宮(
末森城址)付近に転居、同12月
茅ヶ崎に再び転居。
1963年(昭和38年)6月、日本作家代表団(団長・
木下順二)参加による訪中を機に愛知学芸大を退職し、以後、作家業に専念する。なお、ペンネームの『城山』は上記の城山八幡宮(城山町)に3月に引っ越して来たからと本人は語っている。